先月の5月2日終了時点で、読売ジャイアンツが公式戦
通算5000勝に到達した。
70年以上の歴史を経て達成した記録であり、
日本のプロ野球球団としては最も多い勝ち星の数である。
ここ最近、巨人というブランドが希薄になりつつある
中で、長いことジャイアンツファンを続けてきた自分に
とって、改めて巨人というチームの偉大さに、気づいた。
実は、堀内監督になってから、めっきり巨人の試合を
観なくなってしまった・・・
2002年の西武に4タテしたときまでは、夢中になって
観ていたのにである・・・
僕が初めて巨人の試合を生で観たのは、大洋ホエールズ
(現・横浜ベイスターズ)戦だった。
僕は小学二年生だったので、多分昭和54年ごろだった
と思う。横浜スタジアムの1塁側だった。
当時、横浜スタジアムで行われる巨人戦は、7割が巨人
ファンで埋め尽くされていたので、チケットを取るだけでも
大変で、大洋側しかチケットが取れなかった・・・
その試合は、長嶋さんが第1期の監督時代で、弱かった
時である。だから幼心に、巨人は人気があるのに、
弱い球団というイメージを持っていた!!
この日も、大洋のエース齋藤明夫に、2安打に沈み、
巨人の当時の4番王さんも、ノーヒットだった。
唯一調子の良かったのが、3番を打つ張本で、バッティ
ングは素晴らしかったが、レフトの守備で足が遅くて、
何度もヒットにされていたのが印象に残っている・・・
親父が「今日は齋藤だから、負けるな・・・」と
試合前に言っているのを聞いて、しかも8-0という大敗
を喫したとき、「親父はすごい」と思った記憶がある。
初めての観戦は、8-0で負けるという、あまりにも
ショッキングな結果となってしまった・・・
僕の巨人との思い出は、王さんや長嶋さんではなく、
江川や原やクロマティや中畑だった。
監督が長嶋さんから藤田監督に変わり、原辰徳が
鳴り物入りで巨人に入団した昭和56年こそ、
熱狂的な巨人ファンになった年だと思う(笑)
その年は、圧倒的な強さで優勝し、日本シリーズも
大沢親分の日本ハム相手に、4勝2敗で勝ち、
8年ぶりの日本一となった。
物心ついてから、初めての巨人の日本一だった。
このときの巨人のオーダーは
1番 ショート 河埜
2番 ライト 中井
3番 ファースト 中畑
4番 センター ホワイト
5番 レフト 柴田
6番 サード 原
7番 セカンド 篠塚
8番 キャッチャー 山倉
9番 ピッチャー 江川
まだ、V9戦士の柴田勲がいたんだね。
驚きです!!
因みに、その後長きに渡って、僕の青春時期の
オーダーは、
1番 レフト 松本
2番 セカンド 篠塚
3番 センター クロマティ
4番 サード 原
5番 ライト 吉村
6番 ファースト 中畑
7番 セカンド 河埜
8番 キャッチャー山倉
9番 ピッチャー 江川&西本
今も昔も、僕はこの時代の巨人が一番
好きだ。また思い出深い選手たちである・・・
それからの巨人は優勝しても、強敵西武に
勝てず・・・ようやく日本一になった相手は
近鉄バッファローズだった・・・平成元年の
ことである。
それでも翌年の西武には、全く歯が立たず、
4タテを喰らって、負けてしまう・・・
それから第2次長嶋政権となり、94年にようやく
あのにっくき西武を破り、日本一になった。
このときは原も衰えが出てきた頃で、松井や落合が
クリーンアップを打っていた。
この年はピッチャーが良く、齋藤・桑田・槙原
の三本柱が、素晴らしい活躍を見せてくれた。
僕の巨人への思いは実はこの頃から薄れていたのかも
しれない。
大好きだった原辰徳が、翌年95年に引退し、巨人には
他チームの大砲がズラリと並んでいた・・・
落合をはじめ、ヤクルトの4番広沢や、その後には、
西武の4番清原や、広島の4番江藤などもやってきた。
まあそれはそれでよかったが、松井がヤンキースに
行ってしまい、翌年原監督が辞任すると、めっきり
見る気がしなくなった・・・
そんな人はけっこう多いのではないだろうか!?
そして久しぶりに、巨人を目にしたのが、5000勝の記事
だった。
巨人と聞くと、今の僕には、懐かしさを感じてしまう。
子供の頃、夢中になって応援してたよなあ・・・みたいな(笑)
昔ほど熱烈ではないけれど、原監督には頑張ってもらいたい。
陰ながら応援したいと思う。
ところで、次に5000勝に到達に最も近いのはどの球団か?
意外に思う人もいるかもしれないが、5月2日現在では
オリックス・バファローズの4423勝なのである。
オリックスは、阪急ブレーブス、オリックス・ブルーウェー
ブなどを経て現在に至っており、伝統は非常に古い。
次に続くのが、阪神タイガースの4416勝。
以下4000勝以上の球団としては、中日ドラゴンズ4395勝、
ソフトバンクホークスの4337勝と続く。
改めて、巨人とは偉大なチームだと感じた・・・
そして、これからも偉大な巨人であってほしいと
願う!!
子供の頃好きだったアニメといえば、
何の迷いもなく僕は宇宙戦艦ヤマトと答える。
アニメとはいえ、それまでの子供が見るものでなく、
大人が楽しめる構成のアニメだった。
ヤマトには、アニメなんだから細かいことは
気にしないというような作りとは違い、細部に
まで細かく、まさに本物の戦艦を動かすような
設定がよかったのかもしれない。
今でこそ、ワープはボタン一つでできてしまう
アニメは多いが、ヤマトは乗組員一人一人の
作業が加わり、よりリアルさが感じられる。
しかしそんな細かい設定にこだわったがために、
突っ込みどころも多かった(笑)
なにしろ、登場人物がよく生き返るんです(笑)
沖田艦長・古代進・森雪・真田四郎・佐渡先生などなど・・・
宇宙人と日本語で話したり、空気のない宇宙空間で、
爆発したり、煙が出たり・・・
でもそんな突込みを差引いても、ヤマトは圧倒的に
おもしろかったし、少年だった頃の自分には思い出深い
作品として、今でもたまに観たくなったりします。
映画を初めて映画館で観たのも宇宙戦艦ヤマトだった。
「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」を、父親と
一緒に立ち見で観た。僕は小学校1年だった。
ラストシーンでは、当時の女子高校生たちが、すすり泣いて
いて、それが記憶によく残っている。
アニメとはいえ、主役である古代や森雪をはじめ、
かなり多くの人間が死んでいく・・・
ミサイルも撃ちつくし、燃料もない状態の中、
敵はヤマトの何十倍という巨大戦艦が出現する・・・
勝ち目はない。そんなときに、相手に勝つ方法として、
ヤマトごと敵巨大戦艦に体当たりするという、無謀な
結末は、最後まで戦い抜く、あきらめてはいけないという、
熱いメッセージだったのだろう。
今では考えられない、くさいテーマであるが、僕は好きだ(笑)
さてここで、宇宙戦艦ヤマトのテレビ・映画をまとめてみた。
『宇宙戦艦ヤマト』 1974年10月6日〜1975年3月30日
読売テレビ系 全26話
『宇宙戦艦ヤマト』 1977年公開[1]
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』 1978年公開
『宇宙戦艦ヤマト2』 1978年10月14日〜1979年4月7日
読売テレビ系全26話
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』 1979年7月31日放映
フジテレビ系(1981年に劇場公開)
『ヤマトよ永遠に』 1980年公開
『宇宙戦艦ヤマトIII』 1980年10月11日〜1981年4月4日
読売テレビ系 全25話
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』 1983年3月19日公開[2]
『宇宙戦艦ヤマトIII 太陽系の破滅』 1983年12月28日
読売テレビ系(ヤマトIIIの再編集版)
さらば宇宙戦艦ヤマトで終わっておけばよかったのにという
声も大きい。しかしその後の新たなる旅立ちは、個人的に
けっこう好きな作品なので、僕的には続いたのは嬉しかった。
完結編も好きな作品だが、沖田艦長が復活したのが、少し笑え
た。
映画では佐渡先生の誤診ってことで、簡単に済ませているが、
小説の方では、医学的に4〜5ページに渡って、説明しているの
が、おもしろい。
また個人的には、地球を救うには真田さん一人いれば、充分の
ように思えるのは僕だけだろうか(笑)
宇宙戦艦ヤマトは、アニメブームの火付け役になったのは、
間違いない。
また日本の映画で、初めて徹夜組が出たのは、このヤマト劇場版
第一作だと言われている。
『さらば宇宙戦艦ヤマト - 愛の戦士たち - 』は劇場用アニメ映画
としては、日本映画史上記録的な大ヒットで、スタジオジブリが制
作した『魔女の宅急便』(1989年)が公開されるまでこの記録は破
られることは無かった。
僕ら30代が生きてきた少年時代には、宇宙戦艦ヤマトがあった。
アニメとしては、テーマは重いが、他人のために、命を惜しまない
犠牲の心が大事だと教えてくれるヤマトは、子供心に、自分を大き
くしてくれた作品だったと思う・・・
僕らの世代では、スポ根というカテゴリーのマンガが
あった。「巨人の星」や「あしたのジョー」などである。
あしたのジョーは先月にBSで特集をやって
ましたね。
懐かしさのあまり、思わず見てしまいましたが、昔の
マンガは心打たれることが多いと、改めて思った。
今を生きていると、あのジョーのような野性的で、
骨のある男が、いなくなったなと感じる。
だからよけいに、男だったら、ジョーに憧れて
しまう。少なくても自分はそうだ。
ジョーの生き方はカッコイイ、けど真似はできない。
自分ができないから、憧れるのだ。
さて、僕はあしたのジョーを、リアルタイムでは
読んでいません。自分があしたのジョーを知った
ときには、すでに書店では売られていなかった・・・
あしたのジョーは古本屋で集めた。
全20巻を、古本屋中を歩き回って、買い求めた。
大変だったが、全部揃ったときの嬉しさは、
普通に買い揃えるよりも、嬉しかった・・・
そして、夢中になって読んだ!!
ジョーは最初はどうしようもない不良少年で、
ボクシングを通じて、人間的にも成長を遂げていく・・・
ジョーの絵も、少年から青年へと変わっていった・・・
ジョーの顔で思い出したが、あの髪型はジョーを正面で
書くことができない。少し斜めの角度で描かれている。
マンガではジョーの正面姿は、見ることはできないが、
アニメではけっこうジョーの正面姿は見ることが
できる。けど正直、あまりカッコいいとは言えない(笑)
あしたのジョーの印象的な場面は、ラストシーンだ。
世界タイトル戦でチャンピオン ホセ・メンドーサと
15ラウンド戦い終え、判定の結果を待つ。
判定が、ホセと告げると、白髪のホセが老人のような
姿で、手を掲げた・・・子供心にちょっと怖いと
感じた。
丹下段平は、残念そうに見つめ、そしてジョーに振り返ると、
コーナーのイスに眠っているのか!死んでいるのか!
分からない表情のジョーがいた・・・
作者はジョーが死んだとは発表していない・・・
ジョーは真っ白に燃え尽きたのだという。
それにしても、ジョーの波瀾に満ちた短い人生は、
少年の心に深く突き刺さった・・・何が?
骨のある人生、いや、真っ白に燃え尽きるという
達成感のような命の使い方を、教えてくれたのである。
大人になってから、あしたのジョーを改めて見ると、
だらだらと、毎日を生きている自分に、喝を
入れてくれているように、感じてしまう・・・
毎日をしっかりと、生きないと!!
80年代に青春時代を送った僕にとって、テレビは
かかせないものだった。
当時のテレビで一番僕が影響受けたのは、
ビートたけしです!!まあ、今も好きですけど・・・
80年に入ると、まずは漫才ブームがやって来た。
B&Bやザ・ぼんちなどを筆頭に、当時大ブームを
起こした。
そしてその後に、漫才ブームに乗っかった芸人が
中心となり、「オレたちひょうきん族」が生まれた!!
「ひょうきん族」は、当時ドリフの全員集合の裏番組として
始まったが、当時はどっちを見るか、迷ったもんです。
今の時代なら、録画しておけば済むが、当時は
ビデオもまだ、高価で買えなかった時代です・・・
苦肉の策として、コントがある前半をドリフ、
タケチャンマンがある後半をひょうきん族という
感じで、見ていました。
80年代当時は、たけしとさんまが、圧倒的に輝いて
いたと思う。人によっては欽ちゃんとかタモリとか
言う人もいるだろうが・・・
実は、最近昔のビデオを整理していたら、なんと
「ひょうきん族」の最終回のビデオが出てきた。
時代は1989年秋・・・
内容は、みんなで、昔のVTRを見ながら、思い出に
浸るという構成だった。
前列に左から鶴太郎・山田邦子・たけし・さんま・紳助
が並んで、二列目にのりお・ぼんちおさむ・渡辺正行や
島崎敏郎などがいた・・・
案の定、たけしは、遅れて登場!!
もうこのときには、すでにたけしより、さんまの
方が笑いにキレがある。
たけしは、にやけて笑っているばかり、少しとまどって
いるようにも見えた。
それにしても、吉田君のお父さんや、うなずきトリオなど
懐かしいVTRが目白押しでした・・・
しかし、懐かしく見させてもらった後、あまりの画像の
悪さに、捨てました(笑)
たけしはもう、このときには、映画進出をしている。
今では、たけしは映画監督として、成功しているし、
たけし軍団のリーダーであったそのまんま東も
宮崎県知事として、活躍している・・・
ひょうきん族の時代では、信じられない展開でしょう。
たけしの絶頂期は、フライデー事件の前の85年頃だろうか!
因みに、この頃のたけしの番組は、以下のとおり。
日曜日 スーパージョッキー・天才たけしの元気が出るテレビ
火曜日 ビートたけしのスポーツ大将
木曜日 世界まるごとHOWマッチ
金曜日 風雲たけし城
土曜日 オレたちひょうきん族・OHたけし
そして何より、たけしが好きな人間には、
テレビよりも、やっぱりオールナイトニッポンでは
ないだろうか!!
次の日がどんなに辛くても、木曜深夜のたけしのオールナイト
ニッポンは、必ず聞いていた・・・
たけしと高田さんのトークは、まさに絶叫ものでした・・・
個人的には、マヌケなものコーナーがよかった!!
みんな、懐かしい、昔の記憶である・・・
たけしが、またお笑い番組を作って、80年代の頃のような
おもしろい、コントやトークをしてくれないだろうかと、
密かに思っている、今日この頃です・・・
テーマ:思ったことを書いただけ - ジャンル:お笑い
ロッキーが16年ぶりに新作で公開されるそうです。
この間、来日してましたけど、スタローンを久しぶりに
見ましたが、やっぱり老けたなあと、感じた。
思えば僕の青春期は80年代にあたり、この頃が
スタローン映画の絶頂期だったように思う。
リアルでスタローン映画を見たのは、「ランボー2怒りの脱出」
だった。
ランボー2は、おもしろかった。とにかく夢中で見た
記憶がある。
当時、ビデオデッキのCMかなんかで、ランボーが、
上空から起爆装置付のドラムカンを落とされ、
岩場から、川に飛び込んで逃げるシーンがあったが、
そのCMが、強く印象に残っている。
確かCMはその飛び込むシーンをスロー再生
することで、PRしていました・・・どこか懐かしい
まだまだ、そんな時代でした。
ロッキーの映画を見て、片手腕立てふせを、
真似てみたり、シリーズごとに、徐々に
練習シーンが、ありえない筋トレになるにつれて
男心に火がつき、やってみたりもした(笑)
圧巻だったのは、ロッキー4での、後頭部と
両腕だけの力で体を浮かせて、足を地面につけずに
上下運動する筋トレは・・・ありえないと思った。
音楽も、ロッキーのテーマはもちろんのこと、
サバイバーが歌う、アイオブ・ザ・タイガーや
バーニングハートなど、圧倒的にカッコ良かった!!
そんなロッキーが帰ってくるのは、80年代を
青春時代として過ごした自分には、ちょっとした
嬉しいニュースでした。
映画音楽でカッコいいといえば、やはり
スタローンの映画で、アームレスリングを
題材にした「オーバーザトップ」でしょう。
ヴァン・ヘイレンのハードロックがしびれます!!
これと、「ロッキー4」のサントラは、最高傑作では
ないでしょうか!!
僕の記憶でだが、80年代のスタローン映画は、
89 ロックアップ
88 ランボー3
87 オーバーザトップ
86 ロッキー4 コブラ
84 ランボー2
83 ロッキー3
82 ランボー 勝利への脱出
81 ナイトホークス
こんな、感じだったと思う・・・
僕のような30代から40代の年代は、
シュワルツェネッガーより、スタローンが
好きな人が多いのではないかと思う。
私見ではあるが、少なくても僕はそうだった・・・
ロッキーが公開されると、今度はランボー4が
控えているそうです。
どんな映画になるか、楽しみだが不安でもある。
でも、還暦になったスタローンを、僕は
応援していきたいと思う・・・
昭和40年代の生まれである私カザナミは、小さい頃、
テレビが真空管で、白黒テレビだった・・・
スイッチを入れても、つくまでに時間がかかった。
また、スイッチを消しても、しばらくは画面が残り、
最後にはマメつぶのように小さくなって、消えていく・・・
そんなテレビの記憶がある。もちろんカラーテレビもある
時代だけど、うちは白黒だった・・・
そんな自分が、テレビ番組で楽しみだったのが、ドリフの全員集合
だった。
なんか、おもしろかった。多分ネタ的には、大したものでは
ないだろう。
だが、今見ても多分、笑ってしまうかもしれない・・・
同じようなコントでも、ドリフだと笑えてしまうのだ。
彼らが登場するだけで、なんかおもしろかった。
当時、自分が小学1年生のとき、盲腸で入院したことがあった。
金曜日に手術したばかりのお腹には、まだ縫合したばかりで、
笑うと痛かった・・・そのため翌日土曜日のドリフは、見ることが
出来なかった思い出がある。
正確には、テレビは見れたけど、見ると笑ってしまって、腹が痛い
ので、見ないように努力していたのだ。
多分、彼らを見ただけで、笑ってしまったのだろう・・・
そんなドリフも今は、長さんはいない。
まさか、長さんが、踊る大捜査線などで、渋い演技で評価される
なんてことは、当時、夢にも思わなかっただろう。
最近の人には、長さんは、俳優のイメージが強かったろうが、
僕は、コントで志村けんなどに、叩かれている長さんの方が
好きだった・・・
そんなことを思う自分は、年なのだろうか!?
と、ふと思ってしまう、今日この頃である・・・










